取り扱い人名一覧;新撰組 更新

取り扱い人名一覧:新撰組 更新


永倉新八

1839-1915

江戸 生

武士

新撰組二番隊組長


神道無念流免許皆伝の腕前で新撰組組長の中でも屈指の剣豪といわれた武士。天然理念流・試衛館の食客であったため、新撰組結成時よりの古参であり池田屋事件・油小路事件・鳥羽伏見の戦い・甲州勝沼の戦いなどで活躍。また、非行五ヶ条で近藤を諌めるなど、新撰組内で発言力を持ち信頼も厚かった。




松原忠司

1835-1865

播磨 生

武士

新撰組四番隊組長


壬生浪士隊の頃よりの古参で新撰組四番隊組長を務めた武士。温厚な性格で慕われ一目置かれた存在であった。




武田観柳斎

生年不詳-1867

出雲 生

武士

新撰組五番隊組長


甲州流軍学を修めていた事から新撰組内では軍師として重用された武士。近藤勇が専横に走った原因を作ったと言われており、媚びへつらう態度に隊士達は嫌悪感を示していたという。隊内での影響力が無くなって来るにつれ、薩摩藩や伊東甲子太郎との接触を企てるなど不穏な行動に出だし、京都郊外にて斉藤一や原田泰之進らによって暗殺されたと伝えられる。




井上源三郎

1829-1868

武蔵 生

武士

新撰組六番隊組長・副長助勤


天然理心流よりの最古参の隊士で新撰組六番隊組長を務めた武士。池田屋事件では土方隊の支援の指揮にあたり池田屋に突入し8人の浪士を捕縛するなどし活躍をみせる。淀千両松の戦いにおいて戦死するも多くの隊士に慕われた人柄であった為、その死が惜しまれたという。




谷三十郎

1832-1866

備中 生

武士

新撰組七番隊組長・副長助勤


三兄弟で新撰組に参加し新撰組七番隊組長を務めた武士。槍の名手として知られ、池田屋事件・禁門の変などで活躍。弟の昌武が近藤の養子となったことから、隊士たちからも一目置かれた存在であったが慶応二年4月の雨降る夜、祇園石段下に死体となって発見。死因は暗殺とも卒中ともいわれている。




藤堂平助

1844-1867

江戸 生

武士

新撰組八番隊組長


天然理心流よりの古参の中では最年少であり新撰組八番隊組長を務めた武士。池田屋事件において最初に切り込むなどして活躍をみせ新撰組内でも中枢の一人に数えられるも伊東甲子太郎とともに御陵衛士(高台寺党)を結成すべく新選組を離脱、油小路事件において暗殺。戦闘の際には常に先陣を切ったことから、魁先生という異名をとり、沖田総司・永倉新八・斎藤一とともに近藤四天王と称された。




鈴木三樹三郎

1837-1919

常陸 生

武士

新撰組九番隊組長・御陵衛士・警察官

伊東甲子太郎


新撰組九番隊組長を務めるも実兄・伊東甲子太郎とともに新撰組を離脱し御陵衛士(高台寺党)を結成した武士。戊辰戦争では新政府軍として各地を転戦、明治以降は司法・警察関係に奉職する。




原田左之助

1840-1868

伊予 生

武士

新撰組十番隊組長


浪士組よりの古参で槍の名手として知られ新撰組十番隊組長を務めた武士。芹沢鴨一派の粛清、長州の間者・楠小十郎斬殺、大阪西町奉行与力・内山彦次郎暗殺、池田屋事件、禁門の変、三条制札事件、油小路事件など新撰組の主な戦闘に参加し活躍をみせる。上野戦争においての傷がもとで死去したとされているが、大陸にわたり満州にて馬賊の頭目になったという説もある。


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