名武将の影には…祐圓尼、井伊直虎を想フ

名武将の影には…祐圓尼、井伊直虎を想フ

徳川四天王と呼ばれる、家康の側近であり江戸幕府の構築に功績を立てた四人の武将をご存知だろうか。家康の関東への移封(国を移すこと)関ヶ原の戦い、そして戦後の大名工作などの処理etc…を手となり足となり貢献した、酒井忠次、本田忠勝、榊原康政、井伊直政の四人を総して徳川四天王と呼ぶ。

この四天王の一人である井伊直政の家系は元々駿河(静岡県の一部)を治めていた今川氏の家臣であった。しかし、今川義元への謀反の疑いをかけられ、直政の父、直親は誅殺されてしまう。このころ直政は二歳であった。その為に直親の従妹である祐圓尼という人物が直政に変わり、中継ぎとして井伊氏の当主となり、同時に直政の養母となるのである。

この祐圓尼という人物、実は元々誅殺された直政の実父、直親の許嫁であった。すなわち女性であったわけで戦国時代に珍しい女領主であったのだ


先に井伊氏と今川氏の間には複雑かつ因縁めいた関係があるのでざくっと、、、
簡単(?)に説明すると

祐圓尼の父、直盛は、男の子ができなかったから、自分(直盛)の従兄弟である、直親と祐圓尼を結婚させて、直親を婿養子にもらう予定だった。それが今川氏のとある人物の讒言(いわれのない嘘)により直親の父、直満とその弟である直義共々、自害させられてしまう。


ここまででも井伊家ってみんな直が付いてて相当わかりにくいが…引き続き 、、、


父と叔父を殺されてしまった直親にも火の粉がふりかかるのではと恐れた井伊家は総力をあげ、直親を信濃の国に隠した。
このことで祐圓尼 は許嫁を失い、出家する。その上、直親は信濃に隠れている間に別の女性と結婚してしまう。これにより祐圓尼 は今季を逸してしまう。


ほとぼりが冷めたのかしばらくして直親は再び今川氏に復帰する。


更に続くのだが、、、

今度はかの有名な『桶狭間の戦い』、(織田信長が少ない戦力で多勢の今川義元を倒す有名な戦)で祐圓尼の父、直盛は戦死してしまう。それで、今川氏の家臣としてしばらくぶりに復帰していた直親がその跡を継ぐのだが、これでは終わらない。
またまた今川のものによってあらぬ疑いをかけられて、やっと復帰した直親は早々に今川氏真という人物に殺されてしまう


これだけをさらっと見ると、今川氏の冷血非道さと井伊家の直の多さが際立って見えるのだが…さておき、
この祐圜尼という人物、一度は出家したものの還俗(一回出家したけどまた僧籍を捨てて家に戻ること)し、名を直虎と改め戦国時代の一武将として君臨するという女豪傑である。

直政基準で考えると、井伊家は今川家との関係性上、二代に渡って良好とは言えない。(祖父も、父も、叔父も謀反の疑いで殺されてるのだから当然)その上父、直親いたっては直虎(祐圜尼)と許嫁であったにも関わらず、逃亡先で別の女性と結婚してしまってるわけだ。
その後今川家のものによるあらぬ疑いで殺されてしまう父、直親だがその妻、すなわち直政の実母はこともあろうに直親を死に追いやった今川家の家臣と再婚してしまう。その為に直政は井伊家においての家督相続権までも失ってしまう。
しかし、この時の直政はまだ幼くこういった現実を理解できる歳ではない。

 そんな中、男世継ぎがなくなってしまった井伊家であったがこの直虎、、、許嫁に裏切られ、今季を逃し、お家存続の危機にまで追いやった今川のものと再婚した許嫁の元嫁の子供の養母となり、相応の歳になったところで家督を譲り、最後は徳川四天王と呼ばれるまでになる井伊直政を育て上げる。


歴史において、時代を変えた名武将達は華々しく祭り上げられるが、それを産んだのも、また育てたのも、結局のところは女性なのである。

と、思わされずにはいられない。


2015.9.29 成田雲助