取り扱い人名一覧:更新
山崎大耕
1875-1966
島根 生
僧
臨済宗相国寺派 管長
相国寺129世・台湾布教監督
妙心寺派巡教師となり台湾臨済宗住職をつとめた後、帰国して相国寺派の管長となった臨済宗の禅僧。戦中の相国寺派をよくまとめ座禅会などを通して教えを広めた。
石田泉城
1890-1971
愛知 生
書道家
師 大島君川・近藤雪竹・比田井天来
泰東書院審査員
酔墨会を設立し、雑誌「書叢」を主宰した書道家。泰東書院審査員・中部日本書道連盟幹事長として活躍。また、愛知教育大学助教授・中日書道会理事長・副会長として名古屋書道会のため尽力した。
望月青鳳
1886-歿年不詳
東京 生
画家
師 望月金鳳・竹内栖鳳・山元春挙
日本美術協会展などで受賞を重ね、1907年東京勧業博覧会「鹿」で褒状、文展開設では評議員として参加するなど中央画壇で活躍した日本画家。1908年第2回文展に「雪中群猿」で初入選、第3回文展に「獅子」で褒状、第6回文展に「群鹿」で再び褒状、第7回文展に「猿」で三等賞を受賞するなど主に官展で活躍した。
賀茂百樹
1867-1941
山口 生
靖国神社 宮司
正四位・従三位
兄 藤井稜威
賀茂真淵の子孫である賀茂水穂の養子となり靖国神社の宮司を務めた神官。30年に渡り靖国神社の宮司を務め、数々の要職を歴任した。
鮎川義介
1880-1967
山口 生
実業家・政治家
東洋大学名誉総長・参議院議員・貴族院議員
日産コンツェルン創始者・満州重工業開発株式会社総裁
帝国石油株式会社社長・石油資源開発株式会社社長
日産自動車・日立製作所をつくり重工業王と呼ばれた実業家。一代で日本15財閥の一つである日産コンツェルンを築いた。
国井応陽
1867-1923
京都 生
日本画家
師父 国井応文
円山派の画風を受け継ぎ、京都画壇の中堅として後進の指導にも尽力した日本画家。
細井平洲
1728-1801
尾張 生
儒学者
師 中西淡淵
江戸にて私塾を開き武士だけでなく農民・町民と誰にでもわかりやすく学問を教えた事が高く評価され、様々な藩に迎えられ晩年は尾張藩の藩校・明倫堂の学長として多くの門人を指導した。門人に上杉鷹山・高山彦九郎がいる。
武富時敏
1856-1938
佐賀 生
政治家
財界からの支援を受けない姿勢は精錬の政治家とも呼ばれ、大隈内閣において大蔵大臣など歴任した政治家。また、肥筑日報を発行。憲政会の重鎮として立憲民政党の後見人的存在であり続けた。
柿沼山岳
1774-没年未詳
武州加須 生
南画家・漢方医
門弟 岩田霞岳
上州木崎宿の漢方医とした傍ら私塾を開き、宿場の子弟に学問を教え、医業や子弟の教育の傍ら南画家としても活躍。木崎を中心に上州一円ばかりでなく、江戸に出て子弟の指導にあたり、上州の南画の先覚者として評価されている。
尾竹越堂
1868-1931
新潟 生
浮世絵師・日本画家
弟 尾竹竹坡・国観
娘 富本一枝
師 歌川国政・小堀鞆音
尾竹三兄弟の一人で東京美術館の建設に尽力した日本画家。人物画を得意とし役者絵・歴史絵を得意とした。
尾竹竹坡
1878-1936
新潟 生
日本画家・浮世絵師
兄 尾竹越堂 弟 尾竹国観
師 笹田雲石・川端玉章・小堀鞆音
尾竹三兄弟の一人で歴史画を得意とした日本画家。展覧会にて受賞を重ね大家としての名を確固とするが、自身の性格が災いして多額の借金を抱え没落の人生を送る。晩年に八火社や八華会を結成し前衛的な優品を残した。
尾竹国観
1880-1945
新潟 生
日本画家
兄 尾竹越堂・竹坡
師 高橋太華・小堀鞆音
尾竹三兄弟の一人でデッサン力に秀で人物画を得意とした日本画家。展覧会にて受賞を重ねその名を広めるが、自身の性格が災いして様々な事件に巻き込まれた。近年、挿絵やポンチ絵が注目を集めている。
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