江戸の妲己

江戸の妲己

8月も半ばに差し掛かるこの頃、木と間違えたのか、電柱にしがみつき鳴くオスの蝉。


ヒメハルゼミ、ニイニイゼミ、ミンミンゼミ、アブラゼミと続き、夏もピークが過ぎるとツクツクボウシが鳴き始め、ヒグラシが鳴き始めると秋がやってくる。


元来、蝉はオスのみが求愛のために鳴き、逆にメスはいっさい鳴くことがない。


夏に木の幹に産み付けられた蝉の卵は冬を越し、次の年の梅雨頃に孵化し、幼虫になって地中にもぐり、3年から長いときでは17年もの間、土の中で過ごす。その後、成虫になるべく地上に這い出し、殻を破り自由になるとそこからの寿命は短く、1週間かそこらで一生を全うする。


オスの腹には鳴き声を反響させるための空洞があり、求愛の楽器と化したそれは、壊れるまでひたすら鳴り続ける。


地球温暖化などと騒がれつつも、実際ここ何十年かの東京の気温はそれほど変化があるわけではないそうで、丁寧にグラフ化されたものを見ると、確かに大きな高低差はなく横ばいであることがわかる。


暑さの原因はアスファルトの照り返しだ、エアコンの室外機の影響だと騒げど、涼を得る方法も時代による変化が大きいわけで、トータルするとなんとも言えないというのが本当のところ。


江戸時代にはアスファルトの舗装もなければ、エアコンもなかったわけで、蝉が電柱にしがみついて鳴いてる絵など、誰が想像しただろうか。


 

ところで昔、妲己(だっき)と呼ばれるとんでもない悪女が中国にいたそうで、たいそうな美貌の持ち主であったといいます。大変強欲であり派手好きで、酒をそそいで池とし、肉を掛けて林とし、酒池肉林。男女を裸にして追いかけ回させるなど、それはそれは下品な遊びに興ずる毎日を送っていたそうでございます。 


世に言う悪女、妖女は往々にして魅惑的な女性が多く、愚かな男どもは時代も国も飛び越えて、毎度このような女に騙されるサガに


あるのでしょうか。


 


さて、江戸の時代にも『妲己のお百』とあだ名される女悪党がおりましたそうで、美濃屋の子さんと名乗り、金に困った貧しい家の娘をあずかって商売していたそうでございます。そこへ、もともとは芸者をしていた峰吉という男が、目を患い、娘のおよしを預けにまいりました。


小さんのすすめで医者にかかって養生していた峰吉ですが、金にがめつい小さんは峰吉を騙し、娘のおよしを吉原に売ってしまったのでございます。


それを知らぬ峰吉は、目を治しおよしを迎えに行くも、適当な言い訳をされて会うことができない。


その上、およしに会いたがる峰吉を小さんは邪魔になり、重吉という昔の仲間を雇って殺してしまう。



これは落語の演目でございますが、犯罪、特に殺人は色恋沙汰か金絡みがほとんどであると聞きます。


現在では不倫などは犯罪として罰せられませんが、江戸時代の頃は姦通罪といいまして、立派な犯罪行為でございました。 


夫は現場を発見した場合、間男と妻を殺害しても無罪、未遂の場合は間男のみ殺害してもかまわないというくらい重い罪であったそうでございます。


また、強盗や窃盗でも十両以上盗めば死罪となったようで、被害にあった側も犯人が捕まり死罪になると目覚めが悪いという理由で、被害額を十両未満として届けることも少なくなかったといいます。ちなみに十両といいますと、当時の庶民が一年間生活できる金額であったそうです。


話しは変わりますが、遠い外国では、未だに女性と男性の立場が均等ではない場所もあり、理不尽な判決により罰せられる国もあるようです。犯罪に対しての概念も、土地や時代や宗教感によって大きく左右されるものであり、人道的な道徳観はあってないものなのかもしれません。


価値観を共有することが平和につながるのであれば強く望みますが、何千年もかけて出来上がった様々な文化は簡単に溶け合うことができるものでもないように感じます。 



聖書にあるように人類が土塊の中から生まれてきたのであれば、鳴き声違えど蝉は蝉。


しかしながら、メスの蝉はいっさい鳴かないのでございます。



2015/8/14 成田雲助