取り扱い人名一覧:宗教家 更新
叡尊
1201-1290
大和 生
僧
真言律宗
仏教においての道徳や規則である戒律の復興に尽力した真言律宗の名僧。貴賤を問わぬ救済を志し多くの帰依をうけるとともに、忍性・信空など多くの著名な弟子を育てた。それは真言宗・律宗の枠を超えた「鎌倉新仏教」とも言え、これまで国が定めた方法でしか認めらなかった出家戒の授戒を改め、自らの手で行う「自誓授戒」を行った。
白隠慧鶴
1686-1769
駿河 生
禅僧
臨済宗
江戸時代中期に衰退していた臨済宗を復興させた中興の祖で、書画や詩文にも優れた作品を残した禅僧。「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」と謳われ、現在の臨済宗十四派では全ての派で白隠の著書「坐禅和讃」が座禅の際に詠まれている。
栄西(明菴栄西)
1141-1215
備中 生
禅僧
臨済宗 開祖
宋に渡り禅を学び、日本に帰り臨済宗の開祖となった禅僧。建仁寺を開山し、天台密教葉上流の流祖でもある。また、奈良時代に伝えられたが廃れてしまっていた喫茶の文化を普及させ、宋より持ち帰った茶種の栽培を奨励したことにより日本の茶祖ともいわれる。
一休宗純
1394-1481
京都 生
僧
臨済宗 大徳寺派
まるで仏教本来の戒律を逸した風狂の精神を体現する様な人生を送った臨済宗大徳寺派の僧。その生き方は民衆の共感を生み様々な作品のモデルとして描かれた。また、詩文に優れ、詫び茶を創始したとされることから、その墨跡は茶人の間で珍重された。著書に「狂雲集」「続狂雲集」「自戒集」「骸骨」などがあり、東山文化を代表する人物である。
夢窓疎石
1275-1351
伊勢 生
禅僧
臨済宗
歴代の天皇から七度に及ぶ国師号を賜与され七朝帝師と称された臨済宗の禅僧。後醍醐天皇や足利尊氏の信頼が得て禅宗発展の基礎を築いた。また、西芳寺(苔寺)・天龍寺・瑞泉寺・恵林寺など多くの禅宗様庭園を作庭し造園芸術を極めた。
宗峰妙超
諡号 大燈国師
1282-1338
播磨 生
禅僧
臨済宗大徳寺派 開祖
後醍醐天皇・花園天皇に外護され大徳寺を開山した臨済宗大徳寺派の開祖。厳格な禅風で知られたほか、尼道場を創建し女性にも禅の教えを広めた。また、書に優れ日本的墨跡の先駆をなし、墨跡で有名な名僧が多い大徳寺派の中でも開祖である宗峰の墨跡は高く尊重される。
慈雲妙意
1274-1345
信濃 生
僧
臨済宗国泰寺派 開祖
後醍醐天皇の帰依を受け国泰寺を開山した臨済宗国泰寺派の開祖。
心地覚心
号 無本
1207-1298
信濃 生
僧
臨済宗法燈派 開祖
臨済宗建仁寺派の妙光寺を開創した臨済宗の僧。虚無僧で有名な普化宗を日本に伝え普化宗の祖ともされる。また、味噌と醤油を宋から持ち帰りその技術を最初に伝えた人物と伝えられている。
無学祖元
諡号 仏光国師
1226-1286
中国 明州慶元府 生
僧
臨済宗無学派(仏光派)開祖
北条時宗の招きに応じて来日し臨済宗無学派の開祖となった禅僧。建長寺・円覚寺に住み鎌倉武士の篤い信仰を受け、懇切丁寧な禅の指導法は老婆禅と呼ばれた。
沢庵宗彭
1573-1646
但馬 生
禅僧
臨済宗大徳寺派
詩文・書画・茶道に通じた安土桃山時代から江戸時代初期を代表する臨済宗大徳寺派の僧。多くの人から慕われ、徳川家光をはじめとする土地土地の権力者などから帰依をうけているが権力に迎合せず禅風を崩す事もなかった。また、宮本武蔵との関係が多くの作品で描かれているがフィクションであり二人の関係が残っている資料は存在しないこ言われている。
木庵性瑫
1611-1684
中国 福建省 生
禅僧
臨済宗黄檗派(黄檗宗)
隠元に招かれ来日し隠元の後を継ぎ宗派を発展させた臨済宗黄檗派の禅僧。黄檗三筆の一人に数えられたその筆風は、中国人ならではのもので「雄健円成の書」と評された。
仙厓義梵
1750-1837
美濃 生
禅僧・画僧
臨済宗古月派
博多の聖福寺にて多くの全画を残した臨済宗古月派の禅僧。出光美術館の仙厓コレクションで知られ、軽妙酒脱な画風と自由奔放な狂歌で人気を博すとともに気さくで正義感が強く地位や名誉に縛られず、旅を愛した生涯は多くの人に慕われた。
出口王仁三郎
1871-1948
京都 生
宗教家
大本教 教主
義母 出口なお(直)
大本教開祖 出口なおの娘婿として教団の発展に尽力しなおの後を継ぎ教主となった宗教家。強烈な個性とカリスマを持ち合せ、あらゆる手法を使って新興宗教であった大本を日本有数の宗教団体に成長させた。
取り扱い人名一覧を更新致しました。山光堂では歴史にその名を残した人物の作品を探しております。美術品・骨董品の他、歴史にまつわる品なども買取致しておりますので宜しくお願い致します。また、買取方法につきましては買取案内をご参考下さいます様お願い致します。
コメントをお書きください