取り扱い人名一覧:更新

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長尾雨山

1864-1942

香川 生

漢学者.書家.画家.篆刻家.


岡倉天心らと東京美術学校の設立に尽力。

泰東書道院・日本南画院等にも参加した。

中国商務印書館の編集顧問として黎庶昌・鄭孝胥・呉昌碩・羅振玉ら文人墨客と交わり、

中国学を開花・進展させた大家として知られる。


山岡鉄舟

1836- 1888 

江戸 生

武士

浪士組取締役.精鋭隊歩兵頭格.若年寄格幹事.

静岡県権大参事.茨城県参事.伊万里県権令.侍従.宮内大丞.宮内少輔.

従三位勲二等子爵

一刀正伝無刀流 開祖


剣禅一如の精神を求道した幕末維新の英傑。

江戸城無血開城の立役者。

その人となりを西郷隆盛は「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と賞賛した。

書においては勝海舟・高橋泥舟とともに「幕末三舟」と称され、王羲之・空海の筆跡を臨書により確立した、自らの精神を写した独特の世界は鉄舟流とも呼ばれた。


井上円了

1858-1919

新潟 生

教育家.仏教哲学者.

東洋大学創立者


あらゆる学問の基礎である哲学を学ぶことが日本の近代化にとって重要であるとの観点から、後に東洋大学となる哲学館を設立した。また、「妖怪学」「妖怪学講義」などを著し「お化け博士」「妖怪博士」などと呼ばれた。迷信を打破する立場から科学的に妖怪研究を行い考察を深め、当時の科学では解明できない妖怪を「真怪」、自然現象によって実際に発生する妖怪を「仮怪」、誤認や恐怖感など心理的要因によって生まれてくる妖怪を「誤怪」、人が人為的に引き起こした妖怪を「偽怪」と分類し、例えば仮怪を研究することは自然科学を解明することであると考え、妖怪研究は人類の科学の発展に寄与するものという考えに至った。円了の後の体系的な妖怪研究は、江馬務、柳田國男の登場を待つこととなる。


益田玉城

1881-1955

宮崎 生

日本画家

師 川端玉章.赤池南鳳.


美人画を得意とした宮崎県出身の数少ない日本画家の一人。同郷の山内多門とともに上京する。東京大正博覧会で「花ぐもり」が褒状。翌年、文展で「かの子屋の娘」が褒状37点に入り以後文展、帝展を中心に活躍。傍ら、川端画学校・ 女子美術大学で教壇に立ち後進を育成した。その後「笛の音」が話題作となり一躍時の人となり「姫街道」で無鑑査推薦となりり確固とした地位を得る。目黒雅叙園には復元された「玉城の間」があり当時の隆盛をうかがえる。


後藤新平

1857-1929

岩手 生 

医師.政治家.官僚.

南満州鉄道株式会社総裁.東京市長.


医師として出発し、内務官僚や南満州鉄道株式会社総裁、東京市長などを務めた。

1923年の関東大震災直後には被災した東京の復興のための「帝都復興院」を創設し、リーダーシップを発揮した。

公衆衛生、鉄道、通信、金融、都市計画などの多岐にわたる事業に、徹底的な調査や優れた人材の抜擢をもって取り組み、大胆な構想は時に「大風呂敷」と言われた。その長期を見据えた仕事ぶりは近年、再評価されていたが、2011年の東日本大震災後に再びその手腕が注目されている。


九条武子

1887-1928

京都 生

社会運動家.歌人.教育者.

師 佐佐木信綱

父 大谷光尊

仏教婦人会創設.京都女子専門学校創立.


関東大震災を経て慈善活動に献身。京都女子専門学校を創設するなど女子教育に尽力した。また、歌人として「金鈴」「無憂華」「白孔雀」等の歌集があるほか、柳原白蓮、江木欣々とともに大正三美人と称された。


岡本一平

1886 -1948

北海道 生

画家.漫画家.

妻 岡本かの子

子 岡本太郎


「総理大臣の名は知らなくとも、岡本一平の名を知らぬ者はいない」とまで言われた大正~昭和戦前の人気漫画家・岡本一平。 

人間生活の機微にふれた鋭い描写と軽妙な警句によって従来のポンチ絵的な漫画の形式を一変させ、また政治漫画にも一時期を画する。

夏目漱石、北大路魯山人ら文人、芸術家との交流も多かった。


亀田鵬斎

1752-1826

江戸 生

書家.儒学者.文人.

師 井上金峨.三井親和.


谷文晁、酒井抱一とともに「下谷の三幅対」と呼ばれた江戸時代後期を代表する傑物。

寛政異学の禁に反対した為「異学の五鬼」とされ処罰の対象となり、千人以上いた門下生を全て失ってしまう。が、その後は書と詩文で再び名声を得るなど、その人生は波瀾万丈に満ちる。

書家としても秀でており、草書は近世を通じての名手といわれる。

海外で「フライングダンス」と呼ばれるその独特の書方は「鵬斎は越後がえりで字がくねり」 とも呼ばれた。


岸駒

1756-1839

石川 生

日本画家 

従五位越前守


明清画、南蘋派、円山派などの画風を手当たりしだいに独学で学び、自己の画風を築き、円山応挙亡きあとは松村呉春と人気を二分した。特に迫力のある虎の絵を得意とし、「岸駒の虎」として落語の噺で語られる程である。京都にて岸派を形成して多数の門人を輩出したが、現在、一般に岸駒を初めとした岸派は認知されているとは言いがたい。しかし、京都の社寺のみならず町家の至る所にまで岸派の作品が残っており京都を代表する流派の一つである事は揺るぎようがない事実である。


月僊

1741-1809

愛知 生

浄土宗 画僧

師 円山応挙.桜井雪館.


誰に乞われても画料をとる事から「乞食月僊」と呼ばれた。また、僧侶でありながら巨万の富を得たため避難する人も多かった。

しかし、のちに寺の伽藍・山門を建て、経典を購入して倉におさめ、山道の改修・天明飢饉の施米・宮川架橋・文化年間の伊勢大火罹災者の救済などに尽くす姿を見せ、人はみなその功徳に服すようになったという。


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