ヤジロウ
1511?-1550
薩摩 生
キリスト教徒
一説には人を殺した為にマラッカに逃れ、フランシスコ・ザビエルと出会いゴアにて日本人としては初めて洗礼を受けたとされる人物。ザビエルとともに日本にて布教活動をするが、ザビエルの離日後に海賊となり中国近海で海賊に殺害されたとされている。
柳宗悦
1889-1961
東京 生
思想家・美術家・宗教哲学者
父 柳楢悦
叔父 嘉納治五郎
妻 柳兼子(中島兼子)
子 柳宗理
美とは生活の中にあると提唱し「民藝運動の父」と呼ばれた思想家。柳のもとには多くの優れた芸術家が集まり、現在に続く「モノ作り」に大きな影響を与える。また、芸術とあわせ「美の宗教」という宗教観を示し独自の議論を展開した。
柳宗理
1915-2011
東京 生
工業デザイナー
父 柳宗悦
母 柳兼子(中島兼子)
日本民芸館館長・金沢美術工芸大学客員教授
文化功労者
家具やキッチン用品から照明器具や日用品などのデザインに活躍した工業デザイナーの草分け的存在。バタフライ・スツール」が1957年にイタリアの国際博覧会「第11回ミラノ・トリエンナーレ(Triennale of Milan)」で世界的な評価を受け、巨匠として常に第一線で活躍した。
矢野橋村
1890-1965
愛媛 生
南画家
師 永松春洋
日展審査員・日本南画院会長
受賞歴多数
主潮社・日本南画院の結成に参加したほか、福岡青嵐や斎藤与里らと私立の大阪美術学校を設立。日本南画院会長として活躍し、大阪の美術振興に貢献した南画家の大家。中国明代の模写を基調として細部まで気の緩みのない凛とした作風で一世を風靡した。
山岡鉄舟
1836- 1888
江戸 生
武士
浪士組取締役・若年寄格幹事
静岡県権大参事・茨城県参事・伊万里県権令・侍従・宮内大丞・宮内少輔
従三位勲二等子爵
一刀正伝無刀流 開祖
剣禅一如の精神を求道した幕末維新の英傑。
江戸城無血開城の立役者。
その人となりを西郷隆盛は「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と賞賛した。
書においては勝海舟・高橋泥舟とともに「幕末三舟」と称され、王羲之・空海の筆跡を臨書により確立した、自らの精神を写した独特の世界は鉄舟流とも呼ばれた。
山下昇平
1976 -
宮崎 生
現代美術家
造形作家・イラストレーター・舞台美術家など多分野にわたり活躍。ジャンルを問わず評価される作風は、現代アートと商業デザインとのあいだで揺れ動く現代美術界において新たな指針を示している。
山口蓬春
1983-1971
北海道 生
日本画家
師 松岡映丘
文化勲章受賞・帝国美術院賞受賞
帝展審査員・日本芸術院会員・日展参事/理事/顧問・文化功労者
生涯自身の画風を追求し時代の先駆者として次世代に続く若き画家達に影響を与え続けた。どん欲に様々な世界観を吸収する事により表現された蓬春芸術ともいえる創造性は近代日本美術における一つの頂点ともいえる。その業績は日本画の改革期において指針となり活躍の場は多岐に及んだ。
山崎大耕
1875-1966
島根 生
僧
臨済宗相国寺派 管長
相国寺129世・台湾布教監督
妙心寺派巡教師となり台湾臨済宗住職をつとめた後、帰国して相国寺派の管長となった臨済宗の禅僧。戦中の相国寺派をよくまとめ座禅会などを通して教えを広めた。
山崎烝
1833-1868
摂津 生
武士
新撰組諸士調役兼監察
情報収集や状況調査のの能力に優れ、近藤勇の信頼も厚く新撰組内でも重宝された幕末の武士。禁門の変・第一,二次長州征討などにおいて戦況の推移や状況報告にその能力を発揮し、近藤勇や会津藩に正確な情報をもたらした。
山南敬助
1833-1865
陸奥 生
武士
新撰組総長
幕末の京都において治安維持の為に結成された新撰組の総長。温厚な性格で知られており多くの作品に知的で優しいイメージとしてその人物像が描かれている。原因は諸説あるのだが、新撰組を脱走し隊規により切腹し最期の遂げた。
山上宗二
1544-1590
大阪 生
茶人・商人
師 千利休
千利休の高弟として安土桃山時代に活躍した茶人。豊臣秀吉に仕えていたが、自身の信念を曲げる事ない人物であったため秀吉の逆鱗に触れ処刑された。著書に「山上宗二記」「茶器名物集」「茶の湯珍書」。
山内多門
1878-1932
宮崎 生
日本画家
師 中原南渓・川合玉堂・橋本雅邦
帝展審査員
帝展の第一回展で最高賞を受賞するなどその実力もさることながら、帝展の主任審査員・若葉会の会頭を務め後進の指導にも尽力した日本画家。その人柄は「武骨な剣客風の風貌に似合わず性格は極めて穏健で気配りの人」といわれた。弟子は100人を超え、大野重幸(院展無鑑査)や岩橋英遠(文化功労者)を輩出。
山本五十六
1884-1943
新潟 生
元帥海軍大将・第26、27代連合艦隊司令長官
正三位 大勲位 功一級
海軍要職を歴任後、連合艦隊司令長官として真珠湾攻撃など太平洋戦争緒戦の諸作戦を指揮した軍人。人心掌握の心得を示した「やってみせ言って聞かせてさせてみてほめてやらねば人は動かじ」の言葉は広く現代に残る。
山本権兵衛
1852-1933
薩摩 生
軍人・政治家・武士
薩摩藩士・海軍大将
内閣総理大臣 他 大臣歴任
従一位大勲位功一級伯爵
明治を代表する軍人であり「海軍の父」と呼ばれた。また、薩摩閥の統領として内閣総理大臣を務めた政治家でもある。日清戦争・日露戦争では作戦を統括し事態にあたり、海軍の長として海軍拡張に尽力した。
山本梅逸
1783-1858
名古屋 生
文人画家
師 山田宮常・張月樵・山本蘭亭
尾張藩の御用絵師として尾張南画を先導し活躍した代表的な南画家。名古屋を拠点に各地を遊歴、京都にて四条派と中国元・明の南画の影響を受け写実性と装飾性の高い画風を確立した。門人に中林竹渓・青木蒲堂・青木江崖・前田暢堂など高名画家を多数輩出した。
山本梅荘
1846-1921
愛知 生
南画家
師 貫名海屋・三谷雪崦・竹本雪斎
尾張南画の名手として数々の受賞歴を重ねたほか、文展の審査員を務め、児玉果亭・吉嗣拝山等とあわせて地方の三大家とも呼ばれた。
山本芳翠
1850-1906
岐阜 生
洋画家・南画家
師 久保田雪江・初代 五姓田芳柳・アントニオ・フォンタネージ
明治美術会創立会員・日本洋画振興功労者
第1回内国勧業博覧会花紋賞 他受賞多数
生巧社・明治美術会などを立ち上げ後進の指導に尽力するなどし、後世に多大な影響を与えた明治期を代表する洋画家の一人。パリに留学時、黒田清輝の才能を見いだし法律家志望だった黒田を洋画家に転向させただけではなく、黒田が帰国時には自身の画塾を譲るなどその功績は画壇に及ばぬところにも点在している。また、滞仏作を日本に持ち帰る際に作品を積み込んだ船が難破しており氏の作品はほとんど残っていない。