前田青邨

1885-1977

岐阜 生

日本画家

師 梶田半古・小林古径

帝国美術院会員・帝室技芸員・日本美術院同人

文化勲章 他 受賞多数

精密な描写により描かれた歴史画を得意とし文化勲章を授章した日本画家。画壇での活躍が評価され、その地位を確固としたものとし、歴史画だけでなく広い画題に取り組んだ。また、東京美術大学教授として後進の指導にも尽力を示した。



前原一誠

1834-1876

長門 生

武士

長州藩士

師 吉田松陰

維新十傑の一人として数えられる維新の志士で松下村塾塾生の一人。幕末・維新にて活躍の後、木戸孝允・山縣有朋と対立「萩の乱」を起こし処刑された。



益田玉城

1881-1955

宮崎 生

日本画家

師 川端玉章.赤池南鳳.

美人画を得意とした宮崎県出身の数少ない日本画家の一人。同郷の山内多門とともに上京する。東京大正博覧会で「花ぐもり」が褒状。翌年、文展で「かの子屋の娘」が褒状37点に入り以後文展、帝展を中心に活躍。傍ら、川端画学校・ 女子美術大学で教壇に立ち後進を育成した。その後「笛の音」が話題作となり一躍時の人となり「姫街道」で無鑑査推薦となりり確固とした地位を得る。目黒雅叙園には復元された「玉城の間」があり当時の隆盛をうかがえる。



益田孝

号 鈍翁

1848-1938

新潟 生

陶芸家・実業家

三井物産・日本経済新聞を設立し明治以降の日本経済の基盤を作った実業家。また、小田原三茶人の一人としても知られ茶陶に造詣が深く、国宝・重要文化財を含む名品を数多く蒐集し自作の道具を制作するにまでいたる。



松岡壽

1862-1944

岡山 生

洋画家・教育者

師 川上冬崖・アントニオ・フォンタジーネ

文展審査員・明治美術会設立同人

文展の創設より審査員を務めたり、内国勧業博覧会の審査員など歴任するなど画壇の重鎮として活躍した洋画家。また、後進の教育にも尽力し、帝国大学や高等師範学校・東京高等工業学校の教授・教諭等を務め教育者としても活躍した。



松方三郎

1899-1973

東京 生

登山家

父 松方正義

兄 松方幸次郎

日本山岳会会長・日本山岳協会会長・ボーイスカウト日本連盟総長

従三位勲一等

日本人によるエベレスト初登頂を成功させた日本登山界の草分けといわれる登山家。良識をもって登山界をリードし、日本の登山界の隆盛を築いた。



松島剛蔵

1825-1865

長州 生

武士

長州藩士

弟 楫取素彦

初代長州藩海軍総督として下関戦争にて活躍した幕末の志士。桂小五郎(木戸孝允)や親戚にあたる吉田松陰・松下村塾の塾生たちとは結びつきが強く藩政改革などにも尽力した。



松平治郷

号 不昧

1751-1818

出雲 生

大名・書家・茶人

松江藩7代藩主

茶道への造詣が深く石州流茶道の一派である不昧流の祖であり出雲の芸術文化の基盤となった大名。滅亡するといわれていた程の状態であった松江藩の財政改革に成功したが、農民の年貢を急激に引き上げたことにより貧困は極度に達した。その為、暗君のモデルとして描かれる事も度々ある人物である。



松原忠司

1835-1865

播磨 生

武士

新撰組四番隊組長

壬生浪士隊の頃よりの古参で新撰組四番隊組長を務めた武士。温厚な性格で慕われ一目置かれた存在であった。



松本姿水

1887-1972

栃木 生

日本画家

師 川合玉堂・黒田清輝

帝展審査員

日本画を独学にて描いていたが黒田清輝に師事し洋画を学ぶ様になる。その後、日本画に戻り川合玉堂に師事、帝展、文展などで受賞を重ね、帝展無鑑査・審査員などを経て画家としての地位を確固としたものとする。

野田九浦らと日本画院設立したり堅山南風・西沢笛畝らと伸々会結成するなどどこそこで名前が見られその人柄には東京教育大学の講師を務めるなど教育者としての一面も覗かせる。



松本楓湖

1840-1923

常陸 生

日本画家

師 沖一峨・佐竹永海・菊池容斎

帝国美術院会員・文展審査員

歴史風俗・人物画を得意とし文展・帝展で活躍した日本画家。また、後進の育成にも貢献し、私塾の安雅堂画塾からは速水御舟や、今村紫紅、小茂田青樹など、次代の活躍者が多数輩出された。



松本零士

1938-現在

福岡 生

漫画家

妻 牧美也子

フランス芸術文化勲章授章

宇宙を題材にしたSF作品を世に送り出した漫画家。「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」は空前の大ヒットとなりアニメブームが到来した。また、漫画古書のコレクターとしても有名で希少な漫画本を多くの資料とともに保有している。



円山応挙

1733-1795

丹波 生

日本画家

師 石田幽汀

中国古画から西洋の遠近法まで幅広く研究し、花鳥を始め動物、昆虫、植物などをさまざまな角度から繊細に描写、更に装飾性を加味した「写生画」を確立するなど近代京都画壇の原点ともなった絵師。円山派の始祖でもある。古典・中国画・狩野派など伝統的な様式は元より、光琳を始めとした琳派など当時流行していた作風を研究・積極的に自身の様式へと昇華させ当代随一の人気絵師として君臨した。また、後継絵師の育成にも力を注ぎ応挙門十哲とされる駒井源琦・長沢芦雪・山口素絢・奥文鳴・吉村考敬・森徹山・木下応受らを始め松村呉春・西村楠亭・月僊・皆川淇園など多数の優秀な絵師を輩出した。



円山応瑞

1766-1829

京都 生

南画家

円山派 二代

師父 円山応挙

白井華陽の著した『画乗要略』で「家法を守る」と評され、写生を重視した親しみのある画風を受け継いだ。その為、弟の応受や甥の応震の方が優れているとも言われるが、応瑞独特の感性は小品の隅々まで気の行き届いた小気味のよさによく表現されている。代表作に大乗寺の遊鯉図襖やカウンティ美術館の宇治茶摘み・吉田山茶会図屏風等がある。