高井鴻山
1806-1883
信濃 生
豪商・文化人・絵師・書家
鴻堂は初名
師 葛飾北斎・貫名海屋・岸駒・岸岱・横山上龍・城戸千楯・摩島松南・佐藤一斎・梁川星巌
代々の酒造として生を受けるも文化人としての才能があり家業が潰れるまで放蕩を続けた豪商。晩年の葛飾北斎に師事し描いた妖怪画などが秀逸作として評価されている。
高階瓏仙
1876-1968
福岡 生
曹洞宗 僧
曹洞宗18代管長
永平寺71世貫首
總持寺独住第12世貫首
全日本仏教会会長
曹洞宗の重役を歴任し18代管長として大戦後の重責を担った禅僧。財政界ともつながりが強く大船観音建立など様々な事業にも尽力した。
高杉晋作
1839-1867
長門 生
武士
長州藩士
師 吉田松陰
松下村塾四天王の一人に数えられイギリス大使館焼打ちや奇兵隊の創設をするなどした藩内の改革派の中心人物。破天荒といわれたその人物像は多くの作品で紹介され幕末の風雲児として語り継がれている。
高橋是清
1854-1936
武蔵 生
政治家
内閣総理大臣 他 大臣歴任
大勲位子爵
その風貌、転んでもただでは起きない政治手腕から「ダルマ蔵相」と呼ばれ、幾度とない金融危機の度に舵を取り日本経済を守ってきたが 軍部との軋轢から 2・26事件 において暗殺された政治家。積極的な経済政策で日本経済を立て直し。陸軍の無茶な予算請求に抵抗し財政を守った。
高橋竹迷
1883-1952
岐阜 生
曹洞宗 僧
清光寺/正福院 住職
多彩な才能を持ち永平寺、總持寺の禅師・役寮を初め、大学、画壇、文壇、政治家、軍人など様々な人々と親しく関わりを持った曹洞宗の禅僧。その交際範囲の広さと人生を書いた中嶋繁雄 著「漂白の禅僧!『天よりの聲』」他、いくつかの作品にもその生涯が描かれている。
高橋道八 初代
1742-1804
伊勢 生
陶芸家
師 奥田穎川
茶道具や煎茶器などに名品が多く残る江戸時代後期の陶芸家。京都の粟田口に窯をひらき、池大雅や上田秋成、売茶翁といった文人達と交遊した。
高橋道八 2代
1783-1855
京都 生
陶芸家
父 初代 高橋道八
師 奥田穎川・宝山文蔵
仁阿弥道八の名で知られる京焼の名手。尾形乾山、野々村仁清の再来と称され、写し物、色絵磁器から煎茶器、造形物など幅広く優品を残した。
高橋道八 3代
1811-1879
京都 生
陶芸家
師父 二代 高橋道八
茶碗、煎茶器、置物などに優品が多い京焼の名手。また、独自に研究を重ね青磁、白磁、青華の技法を会得、磁器の製作も行った。
高橋由一
1828-1894
江戸 生
洋画家
師 川上冬崖/アントニオ・フォンタジーネ/チャールズ・ワーグマン
日本洋画創世記において西洋画の模写ではなく、本格的に油彩画の技法を研究・習得した洋画家。パイオニアともいえるその活動により日本の洋画は夜明けを迎える事になる。また、後進の育成にも尽力し天絵舎を主宰、多くの洋画家や後の日本画家の大家を輩出する。
高村光雲
1852-1934
江戸 生
工芸家・彫刻家
師 高村東雲
子 高村光太郎・豊周
東京美術学校名誉教授・東京彫工会
帝室芸技員
第1回内国勧業博覧会で最高賞を受賞し帝室技芸員に選出されるなど輝かしい経歴に包まれた一時代を代表する彫刻家。当初は仏師であったが、動物をモチーフにした物や用の彫刻に転身、シカゴ万博に出品した代表作「老猿」に見れるように超写実主義ともいえる作風で、伝統ある仏彫物師の技術を近代に受け渡した
高村光太郎
1883-1956
東京 生
文筆家・彫刻家・洋画家
父 高村光雲
弟 高村豊周
彫刻・絵画のほか詩人としても活躍した芸術家。晩年に帝国芸術院会員や日本芸術院第二部会員に推挙されたがいずれも辞退、美や技巧を求める以上に、人間の「道」を最期まで探求した。彫刻代表作に「光雲一周忌記念像」、「手」、「裸婦坐像」など、詩代表作に「智恵子抄」などがある。
高村晴雲
1893-1969
東京 生
彫刻家・工芸家
師 高村東雲・高村光雲
一生涯を仏像彫刻に専念し多くの寺院の仏像制作・保存に貢献、最も観音像を得意として「観音の晴雲」と世界的にも名を馳せた仏師。伝統の仏像彫刻の技法を受け継ぎ3代東雲を襲名するが自ら法眼初代晴雲を名乗った。
高村東雲
1826-1879
江戸 生
彫刻家・工芸家
師 高橋鳳雲
伝統的な仏像制作が衰退していくなか伝統を守り、後に帝室芸技員となる高村光雲などにその技術を継承させ一家を成した仏師。
高村豊周
1890-1972
東京 生
工芸家・歌人
父 高村光雲
兄 高村光太郎
師 津田信夫
国指定重要無形文化財(人間国宝)
日展理事・日本芸術院会員・東京美術学校教授・鋳金家協会会長
帝展特選 他 受賞多数
彫刻、鋳金技術を用いて既存の置物工芸などから抜け出た簡潔で斬新なフォルムを展開し、近代工芸の基盤を築いたとして1964年に人間国宝に指定された工芸家。帝展で三度にわたり特賞を受賞するなど受賞歴も輝かしく、帝展・新文展・日展の審査員としても活躍した。