高遊外

通称 売茶翁

1675-1763

佐賀 生

僧・茶人

黄檗宗龍津寺住持

禅僧の在り方への追求から煎茶普及の活動に傾注し売茶翁と呼ばれ親しまれた禅僧。その姿は次第に多くの人の心に残り相国寺の大典顯常によって「売茶翁伝」として現代に伝わる。



黄山寿

1855-1919

中国 江蘇省 生

画家

清代中国の画家で上海に住む。
人物山水画を得意とするが、特に亀の絵が有名である。



小猿雪堂
1888-没年不明
明治-大正の日本画家
師 狩野永信・小堀鞆音・橋本関雪

狩野派の流れをくみ、帝展・文展や日本南画院などで活躍した日本画家。



児島喜久雄

1887-1950

東京 生

画家・美術史家

東京帝国大学教授

白樺派の画家として画壇で活躍する一方、多くの後進の育成に尽力した西洋美術の美術史家。また、美術評論家としても活躍しレオナルド・ダ・ビンチの研究に業績を残すなど優れた鑑識眼を示した。



五姓田義松

1855-1915

江戸 生

洋画家

父 五姓田芳柳

師 チャールズ・ワーグマン/アントニオ・フォンタネージ/レオン・ボナ

フランスのサロンに日本人として初めて入選した明治初期を代表する洋画家。幼い頃より神童として評価が高く、第一回内国勧業博覧会に出品しグランプリ鳳紋章を受賞。その作品の多くが皇室や美術館などに所蔵されている。



児玉果亭

1841-1913

信州 生

文人画家

師 佐久間雲窓・田能村直入・畔上楳仙

第一回内国絵画共進会 褒状・第一回東洋絵画共進会 銀牌 他 受賞多数

古画・山水画を中心とした南画を得意とし中央画壇で活躍した他、門弟に恵まれ日本画壇を代表する人材を多く輩出した文人画家。



後藤新平

1857-1929

岩手 生 

医師・政治家・官僚.

南満州鉄道株式会社総裁・東京市長

医師として出発し、内務官僚や南満州鉄道株式会社総裁、東京市長などを務めた。

1923年の関東大震災直後には被災した東京の復興のための「帝都復興院」を創設し、リーダーシップを発揮した。

公衆衛生、鉄道、通信、金融、都市計画などの多岐にわたる事業に、徹底的な調査や優れた人材の抜擢をもって取り組み、大胆な構想は時に「大風呂敷」と言われた。その長期を見据えた仕事ぶりは近年、再評価されていたが、2011年の東日本大震災後に再びその存在が注目されている。



小山栄達

1880-1945

東京 生

日本画家 

師 鈴木栄暁・小堀鞆音 

紅児会会員・日月会員・巽画会会員・芸術社結成同人

報知新聞の挿絵担当などをしていたが1907年の東京勧業博覧会展にて「宗任」が三等銅賞受賞、また、文展にも出品を重ねるようになり1911年 第5回文展で「兵燹」で褒状、1913年 第7回文展「大衆勢」で褒状、14年第8回展「矢頃」褒状、15年第9回「雷鳴の陣」で褒状など官展の重鎮として歴史画や武者絵を得意とした日本画家。



小山正太郎

1857-1916

越後 生

洋画家・教育者

師 川上冬崖/アベル・ゲリーノ/アントニオ・フォンタジーネ

明治初期に活躍したパイオニア的洋画家であるとともに不同社を主宰し多数の洋画家を輩出した教育者。後進の教育に情熱を注いだため教育者としての評価が多く、洋画家としての作品の評価はあまりなされないが、バルビゾン派の流れを汲んだ油彩画は秀逸な作品が多く洋画家としても高い評価が得られる実力者であった。



近藤勇

1834-1868

武蔵 生

武士

新撰組局長

幕末の京都において治安維持の為に結成された新撰組の局長。新撰組を知らないという人は現代ではまずいないほど数多くの作品に取り上げられ、近藤も隊士達をまとめあげ人望の厚い局長として人気を誇る。文学、和歌などを好み 頼山陽 の書に私叙した書などを残している。