烏丸光栄

1689-1748

公卿・歌人

正室 松平綱昌の娘

子 烏丸尹光・日野資総・勘解由小路資望・裏松光世・日野資枝・烏丸光胤室・松平定賢室

正二位内大臣

師 霊元天皇・中院通躬・武者小路実陰

有栖川宮職仁親王や桜町天皇の和歌の師として「栄葉和歌集」や「詠歌覚悟」などを記した公卿。 歌人・文官としての才覚は抜きん出ており、烏丸家で内大臣にまで至ったのは光栄だけである。また、三上藩主である遠藤胤忠にも古今伝授を授けた。



川合玉堂

1873-1957

愛知 生

日本画家

師 望月玉泉・幸野楳嶺・橋本雅邦

帝室芸技員・帝国美術院会員・東京美術学校教授

四条派・円山派・狩野派を学び、竹内栖鳳・横山大観と並び近代日本画三巨匠の一人と言われる日本画家。日本の詩情溢れる風景画を主題に穏健な作域を表現した。また、後進の育成にも尽力し貢献を示した。



川上音二郎

1864-1911

福岡 生

興行師・演劇家

オッペケペー節で一世を風靡し「新派劇の父」とも呼ばれた演劇家。玄洋社社員としての顔も持ち、世情を反映した芝居は「新派」と呼ばれ歌舞伎(旧劇)を凌ぐ人気となった。海外でも評価は高くフランス大統領よりオフシェー・ド・アカデミー三等勲章(芸術文化勲章)を受賞した。



川上不白

1718-1809

紀伊 生

茶人・陶芸家・書家

師 如心斎宗左

江戸千家 不白流開祖

千家流の茶道を江戸に持ち込み不白流を興した茶人。江戸の町民文化に影響を受けながら、それまでの京風の茶道手前に江戸向きの改良を加えた不白流を町民や武士に広く茶道を普及させた。



川崎小虎

1886-1977

愛知 生

日本画家

師 川崎千虎・小堀鞆音

子 川崎鈴彦・春彦

東京美術大学教授・武蔵野美術大学名誉教授

文展特選 他 受賞多数

祖父である千虎に伝統的な大和絵の技法を学び、千虎の門下であった小堀鞆音に師事し大家となった日本画家。年齢とともに画境を深め、体が不自由となった晩年は左手を使って制作を続けた。また、官展・日展で活躍し画壇の重鎮として審査員などを歴任した。



河鍋暁斎

1831-1889

茨城 生

浮世絵師・画家

師 歌川国芳・前村洞和・前村洞白

天才絵師として国内外で高く評価されている幕末明治の絵師。混迷する時代に対する風刺画を描いたり、筆禍事件により逮捕されたりと反骨精神のあふれるその人柄は多くの人を引きつけ門人にも恵まれた。狩野派の流れをうけ、自らを「画鬼」と評したその画風は他流派の画法をどん欲に取り入れ一種の暁斎風とも呼べる独特な世界観を形成した。



川端玉章

1842-1913

京都 生

日本画家

師 中島来章・小田海遷

帝室芸技員・日本美術院会員・東京美術学校教授

受賞多数

帝室芸技員や文展の審査員を歴任するなど画壇で活躍した日本画家。川端画学校を設立し多くの優秀な日本画家を輩出、明治以降の近代日本画の構築に大きな影響を与えた。



川畑春翠

1885-没年未詳

京都 生

日本画家

師 山元春挙

京都画壇において活躍した日本画家。インドにて遊歴するなどし画の研鑽に努めた。



川村春洋

1800-1876

白石 生

絵師

師 東東洋

藤堂藩、仙台藩絵師

江戸後期の仙台藩を代表する絵師。また、法橋の位を得て、藤堂藩の絵師ともなった。



川村清雄

1852-1934

江戸 生

洋画家

師 田能村直入・春木南溟・川上冬崖

明治初頭に渡欧し、10年にわたり学んだ西洋画の技術や画風を日本に持ち帰り活躍した明治洋画の先駆者。特に晩年に描いた洋画の大胆な筆致に日本画の持つ雅趣のある色彩を巧みに合わせた作品は人気が高く独自の画風を築き上げた。



河村芳舟
1879-1963
鳥取 生
画家
師 橋本雅邦

兄 河村竹渓

鳥取最後の狩野派の絵師として活躍した日本画家。同門の兄弟子に川合玉堂がいた。



岸駒

1756-1839

石川 生

日本画家 

従五位越前守

明清画、南蘋派、円山派などの画風を手当たりしだいに独学で学び、自己の画風を築き、円山応挙亡きあとは松村呉春と人気を二分した。特に迫力のある虎の絵を得意とし、「岸駒の虎」として落語の噺で語られる程である。京都にて岸派を形成して多数の門人を輩出したが、現在、一般に岸駒を初めとした岸派は認知されているとは言いがたい。しかし、京都の社寺のみならず町家の至る所にまで岸派の作品が残っており京都を代表する流派の一つである事は揺るぎようがない事実である。



韓天寿
1727-1795
伊勢 生
書家・画家・篆刻家
師 松下烏石・沢田東江

百済 余璋王の後裔を名乗り韓天寿と称した書家。古法帖の臨模双鈎に精通し曹全碑や皇甫府君などの法帖を精巧に模刻したほか、山水画の臨模も盛んに行い、伊孚九と池大雅の山水画を縮小して模刻した『伊孚九・池大雅山水画譜』を製作した。