大石鍬次郎
1838-1870
江戸 生
武士
新撰組諸士調役兼監察
新撰組において暗殺を主な任務としていた事から「人斬り鍬次郎」と恐れられた幕末の武士。新撰組の主な戦闘にはほとんど参加し、油小路事件では伊東甲子太郎を暗殺した。明治維新後に捕縛され、一度は坂本龍馬暗殺の嫌疑をかけられてるなどし拷問にかけられるも否認。しかし、伊東甲子太郎暗殺を認めたため処刑された。
大内義隆
1507-1551
周防 生
大名
大陸との貿易により多くの恩恵を受け、文化の普及や発展に貢献したがその政治手腕の是非を巡り家臣による反逆にあい自決した名門 大内家事実上最後の当主。義隆の築いた「大内文化」は「西の京」と呼ばれるほど絢爛たるもので文化人としての評価は高い。
大島義昌
1850-1926
長州 生
軍人・華族
関東総督・陸軍大将
正二位勲一等功二級子爵
玄孫 安倍晋三
戊辰・西南・日清・日露戦争に従軍し戦功をたてた後、陸軍大将を務めた軍人。関東都督として満州経営にあたるなど長州軍閥叩き上げのエリートとして陸軍において重きを為した。また、玄孫に安倍晋三がいる。
大田蜀山人
1748-1823
江戸 生
別号 南畝
狂歌師・戯作家・御家人
師 内山賀邸・松崎観海
狂歌・狂詩・狂文・洒落本・黄表紙・随筆等多才で特に狂歌は四方側の首領で、唐衣橘洲と共に中興の祖といわれ、朱楽菅江とあわせて狂歌三大家と言われた江戸時代の文化人。洒落やユーモアで当時の世間を風刺した作品で市井の心をとらえた。
大友克洋
1954-現在
宮城 生
漫画家・映画監督
ペンタッチに頼らない均一な線による緻密な描き込み、複雑なパースを持つ画面構成などそれまでの日本の漫画にはなかった作風で、80年代以降の漫画界に大きな影響を与えた漫画家。また、映画監督としても活動しており「AKIRA」などで国内外より高い評価を得ている。
大西金陽
1858-歿年不詳
奈良 生
南画家
門弟 木村杏園・木村雨山・山科杏亭・橋本香迂
石川県金沢市に居を構え優秀な門人を数多く輩出した南画家。篆刻・日本画にも通じ基本に忠実な技法は石川の美術会に多大な功績を残した。
大野右仲
1836-1911
唐津 生
武士
新撰組頭取・唐津藩士
唐津藩士として戊辰戦争に参加、仙台にて新撰組に入隊し函館戦争では陸軍奉行添役となり土方歳三の補佐を務めた新撰組隊士。維新後は新政府に出仕し官僚として要職を歴任する。また、函館戦争の記録を(函館戦記)を書き残す。
岡田啓介
1868-1952
越前 生
政治家・軍人
内閣総理大臣 他 大臣要職歴任
勲一等功三級
海軍の要職を歴任していた軍人であったが、退役後 政治家へ転身し西園寺公望の奏薦により内閣総理大臣に就任。官僚中心の内閣は強硬派の軍部を押さえきれず幾度となく苦境に立たされるも「国を想う大狸」と評されたしたたかさで難局を乗り越えた。また、終戦工作にも関与し昭和天皇は『昭和天皇独白録』の中で岡田と元内大臣・牧野伸顕の意見が最も穏当だったとの中で回想している。
尾形月耕
1859-1920
江戸 生
日本画家・浮世絵師
受賞多数
歴史風俗、人物画の描写に優れ、海外の万国博覧会に積極的に参加した事から、近年 国外で再評価されるなど確かな実力を持ち優れた作品を描いた日本画家。また、吉原遊郭の絵びら、木版画、蒔絵、新聞挿絵、陶器への絵付け、小説の装丁なども手がけている。
尾形乾山
1663-1743
京都 生
陶芸家・絵師
兄 尾形光琳
師 野々村仁清
乾山焼の祖として知られる京都を代表する陶芸家。兄 光琳との合作も多く色絵磁器や文人画を施した器などの他、工芸品や絵画などを制作するなど幅広く活躍する。
尾形光琳
1658-1716
京都 生
絵師・工芸家
弟 尾形乾山
師 山本素軒・山本素程
琳派を大成させ「琳派の祖」とも呼ばれる江戸時代中期の日本画家。天性のデザイン感覚、色彩感覚により描かれた独自の装飾芸術は現在では京都を代表する作風として認識され、海外においても日本画に代表されるイメージの一つに捉えられている。また、弟の尾形乾山との合作などその制作範囲は多岐にわたり、光琳の画風に習った「光琳模様」と呼ばれる意匠や、明治の東洋美術史家
フェロノサに「世界最大の装飾画家」と評された作風は、今日までの芸術界に大きな影響を与えた。
尾形俊太郎
1839-1913
肥後 生
武士
新撰組諸士取調兼監察・文学師範
新撰組局内での信頼が厚く、文官として重用された幕末の武士。幕臣取り立てでは副長助勤として見廻組格となり、斉藤一とともに会津まで新撰組に同行した。なお、諸作に取り上げられる事は全くない人物なのだが、尾形を取り上げた作品に秋山香乃の「新撰組捕物帖-源さんの事件簿」がある。
緒方竹虎
1888-1956
山形 生
ジャーナリスト・政治家
自由党総裁・国務大臣・内閣情報局総裁・内閣官房長官・副総理
頭山満に支持し政界に進出後「次の総理」とも呼ばれた政治家。CIAとは協力関係にあり実際に緒方政権擁立の工作をしていた事が明らかになっている。
岡本一平
1886 -1948
北海道 生
画家・漫画家
妻 岡本かの子
子 岡本太郎
「総理大臣の名は知らなくとも、岡本一平の名を知らぬ者はいない」とまで言われた大正~昭和戦前の人気漫画家・岡本一平。
人間生活の機微にふれた鋭い描写と軽妙な警句によって従来のポンチ絵的な漫画の形式を一変させ、また政治漫画にも一時期を画する。夏目漱石、北大路魯山人ら文人、芸術家との交流も多かった。
沖田総司
1844?-1868
江戸 生
武士
新撰組一番隊組長・副長助勤
幕末の京都において治安維持の為に結成された新撰組の一番隊組長。斉藤一と並び新撰組随一の県の使い手であり、信用も厚く、芹沢鴨暗殺など常に重要な任務をこなした。結核により幕末時戊辰戦争には参加せず、病状悪化により死去。
奥原晴湖
1837-1913
茨城 生
書画家
野口小蘋とともに女流南画家の双璧といわれた文人南画の大家。「西の鉄斎、東の晴湖」ともいわれ、木戸孝允・山内容堂の庇護を得て多くの文人達に影響を与えた。作風は豪快で味わい深い文人画が代表とされるが晩年に書かれた繊細なものにも優品が多い。鄭板橋・費晴湖に私淑し、門人は岡倉天心・奥原晴翠など300人を超えた。
織田信長
1534-1582
尾張 生
大名・武将
室町幕府を事実上滅ぼし、戦国乱世の終焉に道筋をつけた戦国大名。織田信長を題材にした作品は数多く「第六天魔王」「三英傑」などとも呼ばれる。
織田長益
号 有楽斎
1547-1622
尾張 生
大名・茶人
兄 織田信長
武将としての才覚には恵まれなかったが茶人としては高名で、利休七哲の一人に数えられ有楽流を創始した。
尾竹越堂
1868-1931
新潟 生
浮世絵師・日本画家
弟 尾竹竹坡・国観
娘 富本一枝
師 歌川国政・小堀鞆音
尾竹三兄弟の一人で東京美術館の建設に尽力した日本画家。人物画を得意とし役者絵・歴史絵を得意とした。
尾竹竹坡
1878-1936
新潟 生
日本画家・浮世絵師
兄 尾竹越堂 弟 尾竹国観
師 笹田雲石・川端玉章・小堀鞆音
尾竹三兄弟の一人で歴史画を得意とした日本画家。展覧会にて受賞を重ね大家としての名を確固とするが、自身の性格が災いして多額の借金を抱え没落の人生を送る。晩年に八火社や八華会を結成し前衛的な優品を残した。
尾竹国観
1880-1945
新潟 生
日本画家
兄 尾竹越堂・竹坡
師 高橋太華・小堀鞆音
尾竹三兄弟の一人でデッサン力に秀で人物画を得意とした日本画家。展覧会にて受賞を重ねその名を広めるが、自身の性格が災いして様々な事件に巻き込まれた。近年、挿絵やポンチ絵が注目を集めている。
男谷燕斎
1777-1840
江戸 生
幕臣・能書家
表右筆
養子 男谷精一郎
甥 勝海舟
各地の代官を歴任し名奉行とも呼ばれた幕末の武士。また、表右筆になる程の腕前で能書家としても活躍した。
小野湖山
1814-1910
滋賀 生
儒者・漢詩家
師 梁川星巌・藤森弘庵・大岡松堂
幕末の混迷機に朝廷より国事掛に任命され三河吉田藩の儒者として国事に奔走。アヘン戦争の実情を伝えた「乍浦集詠鈔」は多くの反響を巻き起こした。明治維新後は従五位に叙せられ官吏に就くが廃藩置県後に退任し、詩人として活躍。剛胆な筆勢、格調の高い明治の三詩人として詩壇に君臨した。小野篁の後裔として伝えられている。
小野(三木)隆助
1839-1923
福岡 生
武士・政治家
筑前福岡藩士・筑前共愛公衆会会長・玄洋社社員
勤王の志士として活躍後「筑前西郷」と評され活躍した政治家。