青木繁

1882-1911

福岡 生

洋画家

師 小山正太郎

ロマン主義的傾向を代表する日本洋画界の夭折の洋画家。若くして日本美術史上に残る有名作を次々と描き上げた一方で、世間的な成功には恵まれず、放蕩生活の末、満28歳の若さで没した。その生涯については虚実取り混ぜたエピソードが多く、半ば伝説化している。



明石元二郎

1864-1919

備前 生

軍人

陸軍大将・7代台湾総督・玄洋社社員

日露戦争時にロシア国内の攪乱をはかり活躍した陸軍軍人。ロシアの政情不安につけいり数々の工作に関与。日露戦争に置ける日本の勝利に貢献した。スパイとして有名であるが階級は陸軍大将まで上り詰めており、日露戦争後の台湾総督としての功績も評価が高く、次期総理大臣とも目されていた。



赤塚不二夫

1935-2008

満州 生

漫画家

トキワ荘の住人の一人であり「おそ松くん」「ひみつのアッコちゃん」「天才バカボン」の大ヒットにより「ギャグ漫画の王様」ともいわれる漫画家。戦後、ギャグ漫画の礎を築き、漫画界の発展に貢献した。また、才能を見いだし芸能界へデビューを後押しした森田一義(タモリ)は「物心両面の援助は肉親以上のものでした」と赤塚の死を悼むなど、多くの人に慕われた人柄であった。



赤禰武人

1838-1866

周防 生

武士

長州藩士・奇兵隊総管

師 吉田松陰・梅田雲浜

イギリス公使館焼打ちや下関戦争・奇兵隊に参加するなど尊王攘夷活動に身を投じるも高杉晋作と対立し離郷、第二次長州征伐時にスパイの疑いをかけられ無念のうちに処刑された松下村塾の塾生の一人。



浅井忠

1856-1907

江戸 生

洋画家

師 黒沼塊山・国沢新九郎/アントニオ・フォンタジーネ

明治美術会創設・東京美術学校教授・聖護院洋画研究所主宰

印象派の画風を日本にもたらした第一人者として、黒田清輝と共に日本における近代洋画の礎を築いた洋画家。ヨーロッパの農村風景を題材にした作品を数多く描き、日本のミレーと評され数々の傑作を描いた。また、後進の育成にも尽力し、安井曽太郎、梅原龍三郎、津田青楓、向井寛三郎など洋画界の巨人となった人物を輩出した。



朝倉義景

1533-1573

越前 生

大名

室町幕府の名門 朝倉家の最後の当主。織田信長との戦いに破れ滅亡した。その人物像は愚将として語られる事が多いが、文化人としての功績は高く、また海外との貿易に力を入れ文化レベルを発展させた面では評価するところも多い。



浅見喜舟 

1898-1984

群馬 生

書家

師 木俣曲水

書星会理事長・千葉県文化功労者

千葉県の書道協会、美術会の創設に尽くした書家。

千葉大、和洋女子大などの教授を歴任するなど活躍した。



葦原眉山
1838-1887
尾張 生
画僧

葦原眉山は岡倉天心らの中央での日本美術再興運動に呼応し木村金秋・奥村石蘭らと同好社を設立し後進の指導に尽力した画僧。作風は流派に囚われず、狂歌百人一首など様々な作品を描き残した。



跡部白鳥

1900-1973

熊本 生

日本画家

詩 堅山南風

大調和会委員

河童の絵を好んで描いた日本画家。独特の画風で知られ、渡仏し西欧に学んだ画風と日本画本来の独自性とを混然融和した白鳥ならではの画趣に到達。親しく交わり慕った小川不銭亡き後の河童絵の第一人者として人気を集めた。



鮎川義介
1880-1967
山口 生
実業家・政治家
東洋大学名誉総長・参議院議員・貴族院議員
日産コンツェルン創始者・満州重工業開発株式会社総裁
帝国石油株式会社社長・石油資源開発株式会社社長

日産自動車・日立製作所をつくり重工業王と呼ばれた実業家。日本15財閥の一つである日産コンツェルンを築いた。



荒木寛畝

1830-1915

江戸 生

日本画家

師 荒木寛快

帝室芸技員・東京美術学校教授

写実的な色彩花鳥図を得意とし、帝室芸技員などを務めた日本画家。ウィーン万国博覧会で褒章、セントルイス万博で2等賞を受賞するなど輝かしい実績を誇る。



荒木村重

1535-1586

摂津 生

武将・大名・茶人

子 岩佐又兵衛

織田信長に謀反を起こし一族郎党は処刑されるも生き延びて後に豊臣秀吉のもとで茶人として生きた武将で利休七哲の一人。その数奇な人生は様々な作品に取り上げられ現代に伝えられる。